インタビュー記事 (1999年4月20日発売クイックジャパンVol24 足立守正)


●ーよかったら、ペンネームの由来を教えてください。
華倫変:「私はね、中学生の一時期、中国のおじさんのところに引き取られていたことがあってね、その時の中国名が『華倫変』であったわけだ。『華』というのはもちろん『あでやかに』という意味だし、『倫』は『倫理に通じるように』との思いから、そして『変』というのは『変人』から来てるんだよ。と言ってもまあ中国では『変人』と言うのは『偉人』と言う意味なんだけどね」と言った風なウソをいつかついてやろうと思ってつけた恥ずかしい名前です。でも今から思うと暴走族的要素と、オタク的要素の入り交じった良い塩梅な名前だと思います。

●ー華倫変さんの描く女性キャラクターはかわいいですね。「特定のモデルはいるんですか?」
と言ったお座なりな質問を受けるのも時間だと思います。その予行演習として、その質問に是非答えてください。

華倫変:小心で流されやすく、人の顔色をうかがい妥協しまくりの人生と言う面で、ほとんど自分がモデルだと思います。よく私の周りでも「自分がモデルではないか?」と思ってる人が「私をあんな風に見てひどい人だ」との恨みの念を飛ばすことがありますが、それは違います。あと、病院内で過ごされている人を含めて「あの子は私でしょ?だってあの子は私と同じショートカットだもの。なんで私の情報知ってるの?どっから読み取ったの?」とか「俺が古川だ。今ウサギを燃やした。ウサギは燃やすとマーモットになる」とか通信してくる人がいますがそれも違いますよ。

●ー『テレフォンドール 援助交際』の扉絵に、日野日出志の『地獄変』を引用していますが、他の扉絵でも目玉や地獄絵などを描いて、必要以上の怪奇趣味を押し出しているように感じますが。
華倫変:昔はさまざまなことに屈折し、コンプレックスを抱き、理解されない悲しみや誰にも相手にされない焦りもあり、また『ガロ』のようなものが斬新に見えた時期もあって、たまった毒を吐き出すかのごとく変なものを描き続けては一人ほくそえみ、嫌がらせのように出版社へ送り続けていたんです。その当時描いていたのが「隣の家の住人を猟銃で撃ち殺して食べる、チンコとマンコの形をした兄弟の話」だったり「自分の体を妄想上の悪魔に食わせながら日々生活してる女の子の話」だったり「体の一部を切りとって、お互いに食べる人種の話」などで、「食人三部作」と称して、心理学者でなくても「うん、危ないね」って分かるようなマンガばっかりだったんですけど。そういったものが、毒が、デビューしてからもしばらく残っていたようです。今はすっかり毒抜きも終わったって感じで、マンガの表紙にしても「花と女の子」といったものばかり描いているんですけど、それだと編集の人に「そんなの華倫変じゃない」って怒られて、仕方なく内蔵描いたりしています。今は過去の自分のイメージに無理やり合わせてるって感じでしょうか。

●ー華倫変さんの作品には、動物がよく登場します。失礼ですが、かなりヒドい描きっぷりですね。犬は畜生ぶりをみせつけるばかりで、猫にいたっては猫に見えないありさまです。哺乳類が昆虫レベルの下等さで描かれています。動物はお嫌いですか?
華倫変:すこぶる動物は好きです。でも人前では恥ずかしくて可愛がったり愛でたりははできないので陰に隠れてこっそりと、人が見れば「こいつ本当は………いい奴だったのか」と思うようなシチューエーションで可愛がってます。動物キャラについては自分の中に「動物、手抜いて描くブーム」があった時にそんな風に描いていたのですが、そのブームも終わり「ちゃんと描こうかなー」って思ってる頃になって担当さんに「動物、手抜いて描くの面白いから、そう描け」って言われました。 だから後のほうの動物キャラは半強制的に手を抜いて描いたものですね。

●ー扉絵にしても動物にしても、編集さんの意図は、華倫変さんの作品のほどよい違和感を保つのに成功してると思います。おそらく、単行本のタイトル『カリクラ』も編集部のほうで考えたものですよね。
華倫変:そうです。私は『赤い石』と言うタイトルにしようと思ったのですが、それでは質素すぎると言うことで何十時間と話し合って担当さんが決めました。「プリクラ」からきてるようです。

●ー『究極タイガーボンバーナイツ』『殺しのナンバー669』は、一人称の多い華倫変の作品としてはチョット異色ですが、うさんくさい関西弁ヤクザのしゃべくりが気持ちよく、両作品ともおかしな爽快感があって大好きです。「究極タイガーボンバーナイツ」の舞台は我孫子前。ラストシーンの名ビオ阪急という妙にリアルな背景ですが、かと思えば、主人公のヤクザは、すごむ瞬間にチラリと関東風味の啖呵を発します。華倫変さんと大阪との関わりについて、チョット聞きたいのですが。
華倫変:大阪に住んでます。現在。もとは和歌山出身なんですけど。でもマンガに出てくる関西人は関西弁が怪しいですね。私、関西人なのに……。あと阪神ファンです。

●ー『ポルノ』での戸川純の似顔絵の資料が、物語の設定に支障をきたすほど、またえらく古いところにに愛着が感じらたのですが、まだ再評価と言うには早すぎる戸川純の魅力とは何でしょう。
華倫変:マイナーで暗い題材の上で、あえてただ暗くなるだけなのではなく暗さと明るさのはざまでふざけてるような感じがいいんじゃないかなって思います。彼女が面白いと感じるところが、自分と似てるなと思ったのが、好きになるきっかけだったと思います。

●ー戸川純で思い出しましたが、彼女が出演していたドラマ『後は寝るだけ』は観ていましたか?
華倫変:見てません。好きになったのがごく最近で、映像で見たのは『釣りバカ日誌』くらいでしかないです。「あッ!純ちゃんがいつの間にかいなくなって、室井滋になってる」「あのふたりってキャラがかぶってたんだ!」って事に驚いた程度です。

●ーなぜそんな妙な質問をしたかというと、そのドラマが、僕の勝手な解釈なんですが「不幸のエンターテイメント」とでも言うべき、後に数々の傑作が生まれる刺激的な製作ジャンルの先駆と言った記憶があったからです。そこには松尾スズキから野島伸司あたりまで含めているのですが、華倫変さんが影響を受けたマンガ家だと言う山本直樹の最近の作品にもそういった面があると思います。(森山塔名義の作品集に、このドラマから取ったと思われる、同タイトルのものがある)。インディーズ映画に凝っていた頃に、華倫変さんが面白かったと言っていた映画『裸足のピクニック』にしてもそうです。僕は華倫変さんの作品を、そういった新しい悲喜劇の流れの一つとして捕えてしまうことがあります。そして、「悲喜」という言葉に最も相応しい女優として戸川純を思い出すんですが、先の返答で華倫変さんもそんな事を彼女に感じていたのを面白く思いました。華倫変さんは創作の上で「おかしみ」と「かなしみ」のブレンドに気を配りますか。
華倫変:「おかしみ」というか、ギャグに関して言えば、下品なギャグをブレンドすればわりとボツになりづらいと学習しましたので、なるたけ入れるようにしてます。「よし、悲しくしてやるぞ、せつなくしてやるぞ」と思ってマンガを描いたことはなく、ナチュラルに描いたものを他の人が「悲しい話だね」とか言うので「ああ、そうなんだ悲しい話なんだ」と認識します。悲しい、暗い、変、気持ち悪いなどといった評価をされる表現は、わりと本人は意識せずにやってるみたいで、特にこの間、姉に「暗くて気持ち悪かったので、二ページくらいよんで読めなくなった」と最高の評価をされたときは、そういったマンガを描いているって言うことを再認識させられました。

●ー華倫変作品と言えば「三好一郎」と言うキャラクターが重要であり、また華倫変さんにとっても重要なようですが、実在すると再度文章にも書かれているにもかかわらず、「三好一郎は実在しない」「いや、華倫変自身が三好一郎なのだ」とファンの間では議論が絶えません。しかし、そんなことよりも、まだ発表されていないエピソードがあれば教えてください。
華倫変:三好君は実在の人物ですよ。まあ残念ながら、勤めている会社で問題起こしてマンガどおりに南の方に飛ばされちゃいましたけど……。エピソードと言えば、もう些細なことしか残ってないのですけれど、彼はずっとひとりHは立ったまましてきたようですね。もしくはヤンキー座りのように中腰にかまえてひとりHするらしいのですが、ずっとそれが正しい姿だと言い張っていましたね。「君らみたいにチマチマこそこそ隠れるようにしてはいけない」ってことをよく言われました。ただ彼、意外とネタはみみっちくて「好きな女の子の名前で書いた、自作のエロ小説でするのが一番気持ちいい」とか言ってました。そう思うと国民学校の生徒よろしく背筋を伸ばし、直立不動で作文用紙をもってひとりHする、そんな姿が浮かぶようでとっても微笑ましかったです。でもそんな彼も「おやおや、畳の隙間に何か白い結晶が挟まっているなあー」と思う頃には南の方に行ってしまいましたから、返す返すも残念でなりません。

●ー問題ある偏見だと思いますが、僕の「ヤングマガジンらしいマンガ」のイメージは「ライトにグーで女を殴るマンガ」なんです。女性が当然のように殴られてしまう様は、暴力のむごさを表現するには極めて有効なアイテムであると思います。しかし、モンティ・パイソンにボクサーがリング上で女をボコボコにするだけのコントがあったように、妙にユーモラスな瞬間でもあり、その野蛮なユーモアをヤンマガに感じていたのかもしれません。華倫変さんも作品上ではかなり女を殴っていますが、その辺りをどう思いますか。
華倫変:人の気持ちを気にせず俺節で人を殴る三好くんってすごいなーと言う感じがあったんですね。EQ(情動的知能)と言う怪しげな価値基準でいえば、他者との共感性が低い人ってだけのことなんでしょうけど、すごいなーおもしろいなーって思いました。まあ、女の人を殴ることはよくないとは思いますが、女性の方から「女を殴るなんてサイテーよ」とか言われると「じゃあ男は殴られていいの?」って言う気持ちになって殴りたくなるのが人情なんでしょうかね?そういえば最近妊婦を車で轢いたとき、焦ってカーステレオのチャンネルをひねったのですが、これはモンティー・パイソンのように笑いのネタになるのでしょうか。

●ー(この衝撃的な発言に関して、興味ある読者も多いでしょうが、あえて触れなかった。笑いのタネにとどめるためにも)僕は華倫変さんをとてもヤンマガらしい新人作家だと思って読んできたんですけが、デビューは『ヤングサンデー』ですよね。移行の事情などを、よければ教えてください。
華倫変:薄気味悪い、何だかよく分からないマンガを描き続けていた私は、やがてそんなマンガを描き続けていても誰にも相手にされないと言う当たり前のことをかなりの時間を費やして気がつき、「ちッ、まあ君達にはチョット難しすぎたかな?分かったよ君たちの分かりやすいように描いてやるよ」と大変見下した観で、自分の作り出した「社会」という架空の敵に語りかけながら、「せっかく妥協するんだったら、一番嫌いなジャンルのマンガを描いていやる」と思い、恋愛マンガを描くことにしたんです。その作品は「ペントベルビタール酸」といって「フリーターの男が、バイト先で気のある小指のないメガネの十六の女の子を睡眠薬で眠らせて犯そうとするがバレる」といった、今思えば時代を先取りした観のある内容のものでした。それを「恋愛モノ」だと思っていた哀しさはどもかくとして、それを載せるのに最も適した雑誌として、当時変質者のマンガでブイブイ言わせていた『ヤングサンデー』を選んだんです。『ペントベルビタール酸』はYSマンガ賞入選となり、ついた担当者さんのもと描いたのが『南京錠』でした。でも担当者さんはその後移動になり、新しい女の担当さんに変わったわけですが、その人にネームを送ると「ちょっと面白くないので直すから、また来週の月曜夕方四時に電話するので待ってて」と言うことになったんです。私は「分かりました」と正座して、その日を迎えたのですが、それ以降、四年経ってもその人から連絡がありませんでした。っで、しょうがないので連絡がなくなってから一年ほどして、仮の宿のつもりでヤンマガに投稿し、それが月間賞で佳作を取り、『ピンクの液体』でちばてつや賞をとったんです。正直、自身の路線的にはヤンサンの方が合ってたと思っていたのですが、ヤンマガは作家を非常に大事に扱ってくれるので、とてもいやすくて、そんなこんなで現在に至ってます。ヤンマガに来て自分の作品は「朱に交われば」と言う風に変わったと思います。まさか自分がギャグのようなものを描くとは思いませんでした。

●ー今度の作品の予定などは
華倫変:今、ずーっト毛色の変えた新作を描き溜めしています。もう、あまりに長い間雑誌に載っていないので、華倫変はマンガ描くのをやめて公園で鳩でも追っかけてるんじゃないか思ってる人もいるかもしれないですけど、まあ、もしかしたら、今年中には何とかって感じでやってます。今度のシリーズで連載で長くやっていこうと華倫変の頭の中だけで決定していますので、そうなればいいなあと思う毎日です。読んでやってください。


華倫変の描く主人公達は、主にどこにでもいるような消極的でちょっと頭の悪い女の子だ。彼女たちの上唇は、キュッと結ばれたり、とんがったりするけれど、それによって感情を表現しているかと言うとそうではない。鬱積や退屈に満ちた世界を生き抜く、素の表情だ。でもその諦念の表情の、なんてキュートなことだろう。それでも「自殺」なんて可愛げのない考えを持ち出さない、華倫変の描く健気な人々のモノローグに、俺は向田邦子ドラマを思い出したりしてしまう。小林亜世による物悲しくて優しい劇伴が聴こえてきてしまう。
今回のインタビューは、華倫変氏の意向で、FAXのやり取りで行われた。相手の反応見ずに質問するのは難しく、特に考えもなく「手塚治虫についてどう思いますか」と言う質問をしてみた。すると華倫変氏は、正しい漫画家として敬意は表しながらも、「冷たいマンガ」を感じると返答した。そこでの答えが印象的だったので最後に記しておく。

華倫変:私のマンガをどろどろしたものと思う人がいるかもしれませんが、人が憎しみあったりするような話は描いたことがないんですよ。私は「精神が安定していれば、どんなひどい状況でも、人は平気に間抜けに暮らせるものだ」と言うコンセプトもとに、あんな話を描いているんですよ。


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